クローズアップ/Close Up
ラジオで美術番組を今日聞いていた時、
映像産業にとって、クローズアップは大きな発明だったのではないかと誰か示唆しました。
人の内なる世界が現われる、感情、キャラクター、ニュアンス、ジェスチャーを見ることによって、
親密にそして、さりげないく誰かと共にある機会を与えてくれます。
興味深いアイディアです。真実が沢山含まれていると思います。
通常、日常では受け入れてもらっていない限り、誰かを間近でいる事は失礼なことです。
人間であるる事は
-高い社会的な動物である私達は-他者のメッセージに非常に調子を合わせます。
それにもかかわらず、私達はスペースを与え、
そして私達の周りにある内なる世界に入らずに、
ただちらりと見て受け取る事を求められています。
ムービーであっても、写真でも、カメラを通したクローズアップは、
押さえる事無く、私達が深く見る事、調べ、探求する事を許します。
ソウルピクチャー
私が最近書いているイメージについて、
私の「ミステリー トゥ マスタリー」のコースで現れたテクニックについても
一種のクローズアップだと言う事にはたと気が付きました。
それらは、私達自身の一面のクローズアップ。
私達が今持っている一面のクローズアップです。
これらの一面は、世に現れているかもしれないし、いないかもしれません。
しかしどの例を取っても、私達には見るのが難しい事です。
何故なら私達は他者を私達の方を向いている内なる世界ではなく、
他者を外から見ているからです。
ドミニクについて
下の写真にある人物は私ではありません。
しかしながら、私の一面をクローズアップしています。
私の最初の「ミステリー トゥ マスタリー」のコースで
私自身が作った最初のイメージもので、雑誌で見つけた彼が中心に来ました。
ちょっとランダムに創っているように感じました:数冊の雑誌から選んでいて、
ここから膨らませて背景を追加していきました。
見ているうちに段々彼に親しみを感じ始めした。
自分自身の10代半ばの頃の写真を見ているような感じです。
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私は感じやすく、人の気持ちが分かる |
そして、森の背景。
何か重要な意味を見たわけでもないのですが、
正しい選択のように絵を作っている時に感じていました。
後になって瞑想をした時に、子供の頃何度も木に登って過ごし、
風や葉とともに、自分自身でいる事が楽しかった事を思い出しました。
この背景が、ピッタリだったのです!
このイメージは私の一部のクローズアップだと言えます。
訳:R.T.
原文
▼ドミニク2011年コース日程 http://dominicyeoman.blogspot.com/p/1.html
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