道中の感想
今日、スイス旅行へ行く途中のロンドン市内を通過している中、
青い空を飛んでいる新鮮な風と雲を楽しむために私はちょっと休憩。
そして、私は近隣のセントパンクラス駅でもう一度驚嘆することになるのです。
それは文字通り素晴らしい建物で、そのファンタジーのタレット(建物)と、
とてつもなく大きな存在感で、まるで本当のゴシック調の城のようです。
そして、自分がこのファンタジーに映し出されると同時に、
セント・パンクラスは、おそらく、古代の寺院への言及、
またはパン(自然の力を意味した古代の神)へ向ける神聖な樹園です。
ミーティング
しかしガトウィック空港空港行きの電車に間に合わせる為に、私には地下に下りる為の時間はもうありませんでした。
乗車後、私が利用できる最も最高な席は私の反対側にあったと言う事に気が付きました。
実はもう一つ、小さな動物がそこに居たことを知るのに少し時間が掛かりました。
それはチンチラでした。
他の乗客も、このゆかいなを生き物を見つけて指を指し、微笑んでいます。
犬が到着した初日から丸2日間、チンチラはソファーの裏側に隠れていましたが、
犬は直ぐに降伏し、尾を巻いて逃げて行きました。
その後
私は車内でローザに、Aura-Soma PPSコースを教える彼女の経験について尋ねてみました。
来月私はPPSをコロンビアにて教授するのでその事が頭にあったせいでした。
彼女は、コース内で彼女が最も評価するものが、
そして私たちがしゃべり続けていると、やがて高速道路の自動支払機の前に止まり、
ローザは間髪無しに機械へ明るい声で答えました。
「あら、ありがとう、さようなら」
PPSコースについて、“他人へ親切にすること“と話していたら、
ただのロボットにさえ親切に反応できるのか…と印象に残った出来事でした!
コネクション
実際に、私はこれらの2つの物語が繋がるとは思っていませんでした。
がしかし、私がそれらを書きとめる今、気が付く点があります。
それはかつてジュワル・クールを洞察していた頃の自分を意識的に思い出させます。
それは全て存在しなければならない奇跡です。
意識が始まると同時に我々はその意識を世界中のものと共有します。
それが犬またはチンチラ、そしてさらに機械であるかどうかにも関係ありません。
機会は自分自身を意識できるのか?
パンは、自然生命力の意識でしょうか?
私のどこに“私“がいるのでしょう?
10の力
10の力は、何年も前に製作された短編映画で、視聴者を9分の旅行に連れ出し、
それは湖によるピクニック・シーンから始まり、宇宙のまさしくその端まで10の真実とともに飛んで行きます。
10m、100m、1000m 10km、100km、1000km など...
それは、最終シーンに近付くほど速度を上げて行きます。
それは止まらず、一人の人の皮膚を通関し続け、10の要素により減って行き、
それが身体的な現実の最も深いレベルにある全てであるならば、
(形の複雑さはより高いレベルに現れるだけ)それなら“私”はそれの何処にあると言うのでしょう?
炭素原子は、「これは私です」と言うのでしょうか?
それは可能な感じではないですね。
そしてまた、そうでない場合、一体どの時点で“私“は表示されるのか?
映画も”私”が存在するレベルまでズームする必要があります。
何が本当の“私” の基本ですか?
ユーチューブのフィルムを見ることができます。