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2016年8月7日

マゼンタPart 2 ニーチェ


暗闇に手を伸ばそうとした人

私は自分のマゼンタポマンダーを6月28日火曜日に手に入れました。

その夜、BBCでニーチェについての番組が放送されました。

ドイツの哲学者で1844年に生まれ、1900年に亡くなりました。

よくニーチェについては聞きますが、彼の研究について深く行き過ぎるということをしないないようにしていました。

彼の研究には闇の評判があります。

というのも、彼の死後ヒトラーとナチスが彼のアイディアを採用したからです。



番組を見るにつれ、私は彼の研究には強いマゼンタのテーマが流れている事に気が付きました。

たくさんあるので、彼の研究について2つの投稿をしたいと思います。

とても興味深いのは、最も有名な 神は死んだ・・・ という宣言からあるように彼はスピリチュアルであるということ。

ニーチェの全ての仕事は神は死んだという宣言が要約する、一つのパワフルなアイディアを前提としていました。

ニーチェは科学とマインドが今から急速に上がることにより、最終的にそして必然的に伝統的な信仰は取って代わると予見しました。

ニーチェの見解は、神は死んだは自由の宣言、そしてニーチェはまた、この自由は潜在的危機、意味が無くなる予兆と理解していた。

神を信じない事は、それを支えていた救済の目的そして伝統的なモラル構造が権力を行使しなくなる。

どんな意味のある目的やガイドがそれの代わりとなるでしょうか?

これが、ニーチェが生涯取り上げていた核心となる問題でした。




人生を肯定しているyes

ニーチェと同世代の人々の一人、ショーペンハウアーはこのどのように人生を生きるかという問題にとても憂鬱な方法で答えました

人生はひどく困難なので、人々が望める一番のことは痛みを最小限にすることだ。


ニーチェは
ショーペンハウアーを読み、心打たれたけれど、
その答えを受け入れる事は拒否しました。

ニーチェが神の慈悲を信じられなくなっていても(彼の父親のひどい死がこれを確実にしました)彼はまだ人生の活気のある肯定的な答えを見つけようとしていました。

ニーチェの拒絶のレッドは、ベースチャクラから人生を駆り立てるよう火を付けたのでしょうか?

私はそう思いません。

私はニーチェの人生を認める決断はスピリチュアルな情熱、第8チャクラのマゼンタが動機となっていると信じています。

私たちはニーチェが人類を上昇させたがっていたかを見ていきます。

上昇“uplift”)はマゼンタが体の上のクラウンの上に位置するのでマゼンタのアイディアを指します。



ハートとマインド

ニーチェの宣言神は死んだにもかかわらず、彼は自然な事ですが無神論者ではありませんでした。

彼はとても敬けんな家庭で育ちそして、素晴らしい感情、スピリチュアルな繊細さを持っていました。

例えば彼が9歳のときに初めてヘンデルのメサイアを聞いて「イエスが天に召されたときの大きく波打つ音である、天使の喜びの歌声に参加しなくちゃと思った」と言いました。

この感情の繊細さは頭の良さから来ています。

24歳で驚くべきことに彼はバーゼル大学の教授になりました。

歴史上最年少の教授の一人です。そして伝統的な本質のテーマにもかかわらず、古代ギリシアとローマ文明について彼はオリジナルであり、挑戦的な思想家でした。

生命の樹の条件では、私たちは、彼はネツアク(感情)とホド(思考)の両方が強かったと言えるかもしれません。

深いインスピレーションがティファレトでのソウルの気づきに開いて行くためにはこのようなバランスは重要です。


つまりそれがニーチェ。

我々の社会に意味が無くなり、倫理観が開かれるようになると確信した深い感受性を持った、力強い思想家。

そして彼にとって熱烈な興味は新しく人生のアプローチする基礎を見つける事でした。苦しみと目的の数々の問題にうまく対処する事でした。

彼はどんな答えを提案してくるでしょうか?

アート(芸術)の力

彼の最初の答えは、リチャード ワーグナーに会ったことによって刺激を受けました。

ワーグナーは音楽の作曲家でオペラに革命的なアプローチをしました。

ワーグナーはトータルの経験(全体芸術)で聴衆を圧倒したいと思っていました。

彼の最も偉大な業績はニーベルングの指輪で、ニーチェに会った時に彼はまだそれに取り掛かっていました。

抒情詩の比率、神話の力、強欲、ねたみ、英雄たちそして、悲劇。

一人の上演の継続時間、最低でも15時間が4日というのは人々を圧倒しました。

ワーグナーの上演の間、観客を暗闇に押し込む判断はまた、まったく新しい革新でした。

それは自分のことを忘れ、ステージ上の演劇にもっとすっかり夢中になってもらうようにデザインされたものです。

今では当たり前のようになっている事に驚きます。

ショーが始まるとライトが段々暗くなってくるのはここから始まっていました。

これは、B0に踏み出すようではありませんか?ディープマゼンタ。

私たちはショーのマジックが始まると、私たち自身のことを忘れてしまう。



神を信じ、そして救済の消失から人類の経験として何が価値と償いをもたらすのかという、B0 はニーチェの新興哲学の中心である。

彼の答えはアートでした。


ライトが落ちていくと、我々はより大きな存在の永続的な、耐え難い苦しみや、悪戦苦闘の世界に入っていく。

私たちは彼らの大きな物語を観客という同胞として生き、そしてその経験から私たちの物語は償われ、我慢できるようになる。

苦しみは避ける必要はなく、苦しみは生きているということの一部である。

ニーチェは神は死んだと宣言したかもしれない。

しかし私は、彼はアートの中に、偉大なる精霊、贖罪とヒーリングの力といったようなものを見ていたと思います。

タロットカードの愚者のことを考えている自分がいました。

オーラソーマのイクイリブリウムシークセンスでは、B0

人生に一歩踏み出す事を表しています。崖と意識が落ちていく事が彼の目の前にあります。

彼は人生を見失い、そして必然的にやがて、B22への流れがやってきて、愚者の再誕生となります。

生きていることが問題ではなくなります。

人は輝けます。愚者が最初の一歩を踏み出そうという意識がない限り、旅はありません。

人生に浸るのは最初の一歩です。

またこのことは最初の記事に書いた下向きの星のシンボルについて書いた事も思い出させます。

メッセージは繰り返されます。

地球においで。あなた自身を人生に浸しなさい。

経験することによって、人生の意味と価値をもたらします。

私の父の例

ニーチェのアイディアを私の実の父親の例で関連づけることができます。

彼はとても深く感じる人でした。

彼はまた、我々誰しもが持っているようにコンプレックスとチャレンジも抱えていました。

時々仕事から遅くに帰ることがあって、少々飲んでいて、父はお気に入りの椅子に座りボリュームをいっぱいにして音楽を聴く。

そういう夜には、ワーグナーをたいてい選んでいました。

彼は目を閉じ、その体験にはまってそしてたまに、私に向かって「ドミニクも聴いてごらん」こういう時には彼は別の状態に行ってしまっていました。

今日、特に興味を引いたのは、こういう時に使った椅子が苦痛から避難すると彼の中で関連づけられている事です。

一度この椅子はcarrenciaだと表現したことがあります。

Carrencia はスペイン語で闘牛のときに使われる言葉です。

牛が生と死をもがく闘牛場に入れられたとき、次の猛攻に向けて奮い立たせる避難所を造る。これが牛carrenciaです。

音楽の感動に夢中になって、父は何か大きな、美しく力強い経験に没頭することで、彼自身の問題は小さくまたは、消えた。私の父の経験はニーチェの確信の例だと思っています。ゼロのように空になり、より何か大きなもの、アートで満たされることにより、私の父は再び気持ちが上がったのです。

マジェンタ ディープと可視

この2つ目のマゼンタの記事では、ニーチェが強いマゼンタのテーマを彼の研究とそして人生において持っていたということを提案しました。

神を必要とするその先の価値を見つけようと計画するうちにマゼンタの濃さと可視に迫っていきました。

アートを我々人間の経験を歓喜と罪から救うものとして見たとき最初はB0のような大いなる経験という、我々自身をなくすというディープマゼンタを要求しました。

その後彼は可視のマゼンタへ迫っていきます。

鮮やかな、ピンクレッドマゼンタが濃いマゼンタから明らかになる。

アートと一緒にある神聖なる意識。

ヒーリングと贖罪の刺激となることを可能とします。

この新しいマゼンタポマンダーはアートのスピリットと共鳴しています。

目覚めと先へ進む

ニーチェはワーグナーが新しく造った祝祭劇場の夜のニーベルングの指輪のオープニングに行きました。

しかしながら彼は金持ちと富のもう一つのおつきあい予定のイベントだということを見てしまいました。

ワーグナーは上記の変容に有名人となりそして社会的成功を付け加えました。

ニーチェは嫌悪で劇場を後にしました。

人生のカギは危険に生きる事だと彼は書きました。

それからすぐに彼はまた、バーゼル大学での教鞭から去り、そして旅を始めます。

目的の源を改めて探しに


原文

訳:R.T.


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