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2010年2月20日

ゼロ、日本における「空」と「技」

ゼロ、日本における「空」と「技」/Zero, Emptiness and Mastery in Japan




日本において、空というのは非常に重きをおかれている事です。

たくさんの伝統的な技にそれはみられます「~道」(書道、香道、柔道など)と付くものは、
その技を極める為には空となる事が求められると教えてもらいました。
道を究める唯一の方法は、空となる事。
すると、技そのもの流れがそこにあるだけです。墨をつけ、始点に狙いを定め、筆を走らせる。

朝青龍の話をしたいと思います。-この数年相撲界において、一番強い力士。
矛盾して言いるようにみえるのは、彼の所作が空ではなかったという事。
-彼は常に自分自身を表に出し、武道館にスターのように入って行き、彼が行くところそこかしこで論議を巻き起こしました。

角界にとって彼はショックでした。
しかしながら、他の力士も彼を円から出すのに、十分な空の状態を持ち得なかったので、
彼の前に崩れてしまい、彼のと共に流れる力はありませんでした。

そういう訳で、朝青龍は横綱となりました。
しかし、頂点に立ち、「1」になったとき、彼のタイトルは取り上げられてしまいました。
取り組みの成績ではなく、表に表れるべき、空のなさによってです。
彼は通りという公の場で暴力を働きました。
この朝青龍の取った行動を、偉大なる侍、山岡鉄舟と比較して欲しい。
彼は、徳川家茂の身辺警護にあたり、浪士組の取締役となった。
指導者でもあり、そして、明治天皇にとって信頼おける者でもあった。
侍にとって、敵は無く、純粋なスタイルが必要だという無刀流を開いた。
彼は、誰も殺さなかったといわれている。
最後の時、弟子が彼と一緒にいることを望み修練を取りやめた時、
「練習のみが私を唯一敬う方法」と言い、道場に戻るよう命じたという。

山岡鉄舟の生き方は空そのものであった。
練習と鍛錬によって、ゼロへ身を任せる。
朝青龍は戦わない事に対して我慢できなかった。 彼は勝ったにも関わらず失ったのです。
それは彼の空が足りなかったのです。
彼は「1」が強すぎ、「0」が十分ではなかったのです。
最後に、そして、今までの考えからの流れで興味深いのが、朝青龍は横綱審議会に呼ばれて到着したのが、1:10.公式横綱を引退したのが1:11。

ところで、力を試す場(相撲)というが日本では円というのは面白いです。
空を裏付けます。
西洋では全ての戦いが四角で出来ています。四角は1を裏付けるのです!

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