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2012年1月29日

セラビスベイ:どこへでも、どこにも属さず/Serapis Bey: Be anywhere, belong nowhere.

セラビスベイ:どこへでも、どこにも属さず

この記事は、常にコラージュを作るのが難しかった生徒に気付いたことから始まり、
そしてクリアとセラピスベイについて何か深いプロセスを理解する事で終わります。
なるべくシンプルにしようと頑張りましたが、終わり到るまでは実際私自身、
かなりのチャレンジでした!

イントロダクションのパート1と、より深いプロセスのパート2に分けています。
楽しんでもらえるといいのですが。

ところで、コラージュを創るのは、ミステリートゥマスタリーのコースの鍵になるパートです。
コラージュは私達の魂のより深い面にアクセスするとてもパワフルな手段です。
コースについての過去記事のリンクをフォローするか、またはコースを探して参加してみてください。

ステリー トゥ マステリー  Post 1

クローズアップ ミステリー トゥ マスタリー Part

ミステリー トゥ マスタリーの個人的な旅 ミステリー トゥ マスタリーPart3

ミステリートゥマスタリー ・ 2011年の為のコース ミステリー トゥ マスタリー Part 4


パート1.イントロダクション:コラージュ作り

コラージュに関して、私が本当に高く評価する事の一つは、
中心となるイメージがその新しい背景に完璧にフィットする時です。

A clearly cut out collage image


この鍵となるのが、イメージを切り取る時にあるのだと気が付きました。
自分の欲しいイメージを完全にその背景から取り除くのが常に良いでしょう。
イメージが注意深くそして、きちんと切り取られれば取られる程、
他のイメージへ差し込んだり、乗せたり、かぶせていくことがより簡単になって行きます。

生徒の一人が、彼女のコラージュに女性のコラージュを含めたいと思いつつも、
置き場所を見つけられなくて奮闘している姿を見て気が付きました。
問題は、女性が背景から切り取られていなかった事にあります
-彼女は彼女の箱に入ったままです。
それゆえに、彼女は新しい絵に簡単に溶け込む事が出来なかったのです。
彼女の箱の真直ぐな線が、何かと境界を作っているようです。
イメージは最終的にはコラージュの下の隅に置かれました。
たくさんのイメージが彼女のコラージュにある事によって、
分散した効果をどちらかというと作りだしました。

Images with backgrounds are hard to fit


セラピスベイ

背景を取り除く重要性の洞察によって、
B54、セラピスベイのイクイリブリアムボトルの出現が頭に浮かびました。
これは、クリア/クリアのコンビネーションです。
クリアの一つの関連性としては、
特に、下層に現れる時は、遊牧の民です。
このコラージュのアイディアが私にこの関連性を見抜かせました。

B54 Serapis Bey Clear/Clear


人が持っている背景が少なければ(そしてそれによって、その人はもっとクリアになる)
その人は新しい状況に統合しやすいと私は理解しました。
例えば、ロシアの都市で、冬の時期に今日、この記事を私は書いています。

今夜外に出た時、私のゴールド色のコートとオレンジのスカーフによって、
私がここに住む人間で無い事が地元の人にはすぐ分かるでしょう。
ここに住む人間はそんな色のものを誰ひとりとして着ません。
ここにフィットするには、私はイギリスの服を脱がなくてはなりません。
それをする事によって私はよりクリアになり、そして、この例では、
私達はまたこういうでしょう。
私は重いスーツケースを持たない光として旅をしていると。

Dominic looking English in Russia

私達の背景は物質だけではありません。

私が運ぶ背景は、しかしながらスーツケースにだけに入っているだけではありません。
私のマインド、私のオーラにあります。
私の人生の見解、私の信仰、私の価値、私の過去からの経験などが含まれます。
これらは全て目に見えないものは、
新しい全ての環境との間に何かかき乱すものを作りだす事があります。

私達の無意識な背景の力を理解する助けとして、
例えば家族で外国に引っ越す例で考えてみましょう。
想像してみてください。小さい赤ちゃんが家族にいると。
引越しによって最小限の影響しか受けないでしょう。
変化に気が付くという事は殆どないでしょう。
まだ本当に小さいので赤ちゃんはとても小さな背景しか無いです。
意識のマインドは、ニューイオンチャイルドセットボトルの半分から上にある
クリアの上層部のようです。ほとんどまだ、空なのです。

Aura-Soma's New Aeon Child Set

年上の子供達は最初は新しい状況は難しいと感じるかも知れません。
しかし友達が出来るに連れ、彼らも新しい環境に同化していきます。
最終的に新しい文化の一部に完全になる事に一番大変なのは
自身の背景を最も持ち運んでいる大人達です。

背景が無い事は、私達が、新しい環境により簡単に同化する事を助けます。
しかし、そこには、さらにがあります。
コラージュの中の、よく切り取られた中心となるイメージは、
フィットするだけではなく、目立ちます。
どうしてなのかは、パート2を読んでみてください。


パート2 さらなる深い考え

ライフ イン ア デイ(Life in a Day )という、
YouTube上に2010年のある日投稿され個人ビデオを集めて作られた映画があります。

自電車で世界を巡っている、韓国人のオクワン・ユン(Okhwan Yoon)も登場人物の一人です。
彼はもう何年もロードに出ていて、しばらく見ていると、
彼が混雑している都市の通りを自転車と共に夜遅くに歩いている所がでてきて、
その瞬間、私は深い尊敬の念を彼に覚えました。

毎晩、新しい寝る場所を、毎日新しい場所で食べる事をどういう気持ちで彼は探すのだろう。
私だったら非常にストレスを感じます。
彼は新しい事に対して、継続的にオープンなのに違いありません。
つい先週は、または昨日の事ですら、彼はとても小さい背景しか持ち歩いてない。

Okhwan Yoon. Travelling Light.

そしてまた、別の考えが思いつきました。
小さいものしか持ち運ばない彼は、
周りのももので満たされる事に対して、弱く無いと言えるのだろうか?

もし私が彼だったらと想像すると、私は出会うものすべてに簡単に夢中になってしまいます。
通常、自分の背景によって、膨大なライフとのバッファーを私達は持っています。
しかし、彼は全く背景を持ち運んでいないのです!
彼だけなのです:ヘドフォンもなく、忙しいスケジュールもない、などなど
毎日彼が関与しなくてはならない世界と彼だけなのです。
彼はどうやって、クリアな感覚を保つのでしょうか?
彼はどうやって、集中していられるのでしょうか?
私は例として、水を連想します。
水はそのものはクリアですが、コンタクトしてくるものによって簡単に濁ってしまいます。
彼はどうやって、クリアでいられるのでしょうか?

彼の外の世界が常に渦を巻いて、不安定である為、
彼自身の完全と集中を維持する、何らかの保護する質があるに違いありません。
この保護は、所有物や、彼の肉体的は背景にあるバリアではありません。
彼のオーラ、彼の存在、何かダイアモンドのような質が彼をシャープで集中させています。
私はクリアはその透明性により、弱いと思いましたが、
今は、クリアはダイアモンドと同じ位固いというようにクリアを見ています。

結論

多くの人は、常に自分の背景を自分自身と共に持ち運びます。
この持ち運ぶという事はしかしながら、
彼らの背景が彼らが生きるコミュニティーと何も不快なものを作りださない為、
無意識です。

彼らの服、彼らの振る舞い、
彼らの社会的な関係性はその周りにあるものにサポートされています。

しかし、私達が違うコミュニティーに移る時、
新しい環境にスムーズにフィットする事が出来ない事によって、私達は、
無意識な背景に気づき始めるのです。

私達も、そして移り先の、その新しいコミュニティーのメンバーもどちらも
私達が属してないと気が付くでしょう。
もし私達が新しい環境にフィットするならば、
何か私達の今ある背景に対して調整が行われる必要があります。

しかし、第3の可能性があります。
コラージュの強い中心的なイメージを作りだすものは。という、
私の最初の洞察の可能性です。

背景を全く持たない人。この世においては殆どい存在しません。

クリア、月そして隠者

多くの私達が持ち運ぶ背景は無意識です。
占星術で、私達の無意識の習慣と条件付けはで示されます。
オーラソーマではまた、クリアそしてB54に関連しています!

この条件を意識し自由になりたいという私達の願いの一部は
タロットでは隠者として表されます。

なじみだろうと、なじみが無かろうと、彼自身の無意識のつながりと
彼自身の背景を溶解するプロセスを直接的に結び付ける為に、
世の中に対して目を閉じている人。

私は誰?という問いは沢山の間違ったアイデンティティーの層を取り除く道具となっています。

このプロセスの最後に残るのはエッセンスです。
単に今ここにいて、そして外を見ている。
コラージュで私が置こうとする為に切り抜くようなこのタイプは、
どこにでも置けて、そして周り惑わされるという事がないのかもしれません。
背景が注意深く取り除かれたイメージは
どんな環境にも適合するという、私の最初の考えは、
全てが正確では無いという事に今気が付きます。

イメージが新しい環境に対して、不一致をもたらさなければ、融合する。
というよりその反対です。

周りにある全てのものからシャープに取り除かれ、
はっきりと定義されていれば、それは、目立つのです。
事実、どこに置かれようとも、自分自身の背景が無ければ、
イメージは強くそれ自身のものとして現れます。

私がロシアにいた時、私の背景(洋服など)によって目立ちました。
私自身を持ち運んでいます。

背景が無いイメージはその純粋なエッセンス(本質)によって目立ちます。

オクワン・ユンはそういう人ではないかと私は信じてます。
今ここにいるスピリチュアルティーチャー達もまたそうです。

私はどうやったら、どこにでもいられ、そしてまたどこにも属さない位十分にクリアでいられるのでしょう?

最後にここで質問です。
私はどうやったら、今ここに、意識的に、環境との間に混乱を作りださず、
そしてどのように自身の完全と気づきを維持できるのでしょうか?

私はどうやったら、どこにでもいられ、
そしてどこにも属さない位クリアでいられるのでしょうか?


訳注:
ミステリ―トウマスタリーのコースは2012年は海外でのコースのみスケジュールが確定しています。
ブログ内記事リンク(上記文中のリンク先と同じです)
ステリー トゥ マステリー  Post 1

クローズアップ ミステリー トゥ マスタリー Part

ミステリー トゥ マスタリーの個人的な旅 ミステリー トゥ マスタリーPart3

ステリートゥマスタリー ・ 2011年の為のコース ミステリー トゥ マスタリー Part 4





訳;R.T.

原文

o⌒☆ドミニク2012年コース日程 http://dominicyeoman.blogspot.com/p/2012.html

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